介護に携わったきっかけ
人生何があるか分からないものです。
『ぶーにゃ』は介護を仕事にする前はピアノの調律師として楽器店で働いていました。
子どもの頃から、絶対音感があり、ピアノとバイオリンを習わせてもらっていたので
高校卒業後の進路は迷うことなくピアノの調律師でした。
地元を離れて県外の専門学校へと行かせてもらい、
将来は凄腕の調律師として、名だたるピアニスト達からの指名の嵐!
そんな夢を見ながらせっせと腕を磨いでいました。
その頃の自分は、将来の自分が介護を仕事にしているとは夢にも思わなかったでしょうね。
専門学校卒業後はそのまま県外の楽器店に就職。
憧れの職業に就けたこともあり、毎日夜遅くまで仕事をしていても全く苦になりませんでした。
そんなある日、実家から祖父が倒れて介護が必要になったと連絡がありました。
両親は共働きで、祖母が祖父の面倒を一人で見ているということだったので、地元へ戻る決意をしました。
地元に戻り、変わり果てた祖父の面倒を祖母と一緒に看る毎日
祖父は頭を強くぶつけたことにより脳血管から出血を起こし、病院で手術を受けましたが、損傷した脳が完全に回復することはなく、健常な頃と違ってチグハグな行動をとったり、どこかへ出掛けて迷子になる、いわゆる徘徊がみられていました。
『ぶーにゃ』は就職しようにも祖父から目を離せないので
とりあえずアルバイトをしながら祖母と一緒に祖父の面倒を看ていました。
早朝からお昼までのお豆腐屋さんでバイトしたこともあります。
凄腕の調律師になる夢なんて見ている暇はありませんでした。
そうこうしているうちに、祖父は次第に寝たきりになっていきました。
祖父が寝たきりに
祖父が寝たきりになってから、本当の意味での介護が必要になりました。
何の知識もなかった『ぶーにゃ』は、ベッド上で祖父の身体の向きを変えたりオムツを換えることにも大変苦労していました。
延々と何処かへ行こうと歩き続ける祖父に付き添うよりはある意味楽でしたが、
人間の身体を動かすのってもの凄く大変!
介護の勉強がしたい!
次第にそう思うようになりました。
ある日、近所の人から近くの介護施設で臨時職員を募集しているという情報を得たので、
何の経験もなく雇ってもらえるか不安でしたが応募してみることにしました。
結果は「未経験でも大丈夫です。働きながら介護技術を勉強できます。」
という快いものでした。
こうして、何の知識もない全くのど素人が介護の世界に入ることになりました。
当時を振り返って
四六時中 家族の介護をすることは本当に大変です!
これは今でも思いますが、仕事として労働時間の間だけ関わる介護と違って、
家庭で家族を看るというのは本当に大変です。
自宅でご家族の介護をされている方には本当に頭が下がります。
なので、介護を仕事とする人は時間から時間だけの関わりなのですから尚の事
高い倫理観を持った『プロ意識』でもってご利用者と接してもらいたいものです。